Archive for the ‘japan’ Category

Whaling again

in japan, politcs

http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2011/12/09/japan-whalers-to-sea-shepherd-s… WSJ reports: “No Japanese crew members aboard the whaling fleet have ever been injured by the group. The Sea Shepherd started tailing the annual hunt eight years ago with the aim of blocking the fleet from catching whales.” Which is not true.. http://news.bbc.co.uk/1/hi/8511988.stm

Art, life, beauty and experience (summary of my seminar)

in culture, japan

It’s only now that works I made while I was at the art school in New Zealand started to make sense. One of these works is Palarell Parking and I think it represent nature of my artistic enquiry. I feel it is still valid and I continue to have timeless relationship with its content. When I attended… More

BBC QI on unluckiest A-bomb survivor

in japan, politcs

A few weeks a go, various Japanese news media started to report on an incident caused by BBC TV program QI. In this quiz show on history, the presenter opened the quiz by asking “What happened to this unluckiest man in the world?” This unluckiest person BBC featured on this show was a survivor from an atomic… More

鉛筆とペンについて

in culture, japan

日本の小学校に通っていたとき、ペンを学校で使うことは基本的にだめだった。 高学年になってシャープペンシルを使うことは許されたけれどもペンでノートに書き込むことはなぜか許されていなかった。 うちのおばあちゃんが、よく言っていたのは昔女学生の頃、朝学校に行く前にえんぴつをいろりの前で研いで先を均等にとがらせてから登校していたらしい。またそういう均等に研いだえんぴつの様な精神で学校に向かうものだとういような話だったと思う。 僕は日本で中学と高校の入試を経験したのだがやはり間違った時に消せるえんぴつを使っていた。日本ではいつも基本的に勉学はシャープペンシルかえんぴつだった。(本当は英語でシャープペンシルはメカニカルペンシルといいます) そして、16歳になってニュージーランドに留学することになって高校1年生に編入したのだが、ここでは生徒はみんなペンを使っていて僕もペンを使うよう指導された。なので間違った時のための修正液もみんな持っていた。 一回先生に鉛筆ではなんでだめなのか聞いてみたら、ペンで書くと正しいことを書くようになるというようなものだった。もう、もとどおりできないのだから自分の書いていることに自信をもって書き進んでいくスタイルをよしとしている感じだった。 これはニュージーランドだけではなくイギリス(ニュージーランドの教育システムはイギリスとほぼ同じ)やアメリカでもこうである。 これを大きく解釈するとやっぱりアングロサクソン系の国ではこういうようなことが言えると思う。 自分の行為や書いたものに責任を持つ。 間違いやミスであっても自分の意見を押し通すことにある程度の意義を持たせている。 一回で間違いなしに成功させることに重きを置く。 一方日本ではいつミスが起こるかわからないという不安感が念頭にある。 ペンで書いて間違いを認めないのは横着だという観念がある。 丁寧にミスを少しずつ訂正しながら書いているものをよりよく完成させていく。 これから何が学び取れるのかはわからないが書くこと一つを文化の背後にある哲学とういのはこんなに違うのです。

Why I write

in art, japan

なぜ書こうと思ったかというとですね、きっかけは前田ジョンさんに勧められてなんですね。前田さんとういのはデジタルアートの世界的先駆者で今はロードアイランドスクールオブデザインの学長をつとめれている方なんだけれども、彼のロンドンの展示が1月前にありそのときの展示で彼は預言者的なキャラでギャラリーに訪れる人にアドバイスを与えるというシナリオになっていました。私も時間を予約して彼より15分のアドバイスをいただいたのですが、そのとき話した中で今のアートとは何かということを話、長持ちするアートとはそういうことなのかということを話しました。 私も自分の生い立ちからアーティストとしての作品の話などをさらったした後、「なんかねぇデジタルアートみたんなものを作ってきたけどなんか年を重てくるといまいちこのいつも新しいものを作らなきゃいけないような感じが嫌になってくるんですよね。テクノロジーとかって最近どうでもいいんだよね。シンプル。シンプルな美しさですよ。」みたいな話をしていました。 でもう一歩話が進んだところでアートなんてどうでもいいみたいな話になっちゃって、やっぱりアイデア、思想が重要だという話になり前田さんが僕に文章を書くよう進めてくれたのでした。 僕も前から薄々思っていたのだけど余生が1年だと宣告されたとするとやっぱ作品は文章になるだろうなと。なら書くことどこからか始めなきゃなと思い、このブログを始めました。 乱筆ですが練習しないことには巧くならない! ということでよろしくお願いします。 では