日本の小学校に通っていたとき、ペンを学校で使うことは基本的にだめだった。 高学年になってシャープペンシルを使うことは許されたけれどもペンでノートに書き込むことはなぜか許されていなかった。 うちのおばあちゃんが、よく言っていたのは昔女学生の頃、朝学校に行く前にえんぴつをいろりの前で研いで先を均等にとがらせてから登校していたらしい。またそういう均等に研いだえんぴつの様な精神で学校に向かうものだとういような話だったと思う。 僕は日本で中学と高校の入試を経験したのだがやはり間違った時に消せるえんぴつを使っていた。日本ではいつも基本的に勉学はシャープペンシルかえんぴつだった。(本当は英語でシャープペンシルはメカニカルペンシルといいます) そして、16歳になってニュージーランドに留学することになって高校1年生に編入したのだが、ここでは生徒はみんなペンを使っていて僕もペンを使うよう指導された。なので間違った時のための修正液もみんな持っていた。 一回先生に鉛筆ではなんでだめなのか聞いてみたら、ペンで書くと正しいことを書くようになるというようなものだった。もう、もとどおりできないのだから自分の書いていることに自信をもって書き進んでいくスタイルをよしとしている感じだった。 これはニュージーランドだけではなくイギリス(ニュージーランドの教育システムはイギリスとほぼ同じ)やアメリカでもこうである。 これを大きく解釈するとやっぱりアングロサクソン系の国ではこういうようなことが言えると思う。 自分の行為や書いたものに責任を持つ。 間違いやミスであっても自分の意見を押し通すことにある程度の意義を持たせている。 一回で間違いなしに成功させることに重きを置く。 一方日本ではいつミスが起こるかわからないという不安感が念頭にある。 ペンで書いて間違いを認めないのは横着だという観念がある。 丁寧にミスを少しずつ訂正しながら書いているものをよりよく完成させていく。 これから何が学び取れるのかはわからないが書くこと一つを文化の背後にある哲学とういのはこんなに違うのです。